鍼灸学校卒業後、整形外科のリハビリ室にて多種多様な患者さんの治療施術にあたってきました。

アフリカへ1ヶ月、アジアへ

そんな私の趣味は海外旅行。整形外科勤務も四年目に入った頃、初のタイのプーケット島へいつものように一人旅へ出かけました。プーケット島から近くにあるピピ島へ渡っているフェリーの中で偶然にも南アフリカから旅行に来ていたご夫婦と出会います。私はアフリカ出身の方と接する事が初めて、そのご夫婦も僕が初めて出会った日本人という事でお互い話が盛り上がり、話の流れで僕にアフリカへ遊びにおいでとお誘いを受けました。

「アフリカに来るなら1ヶ月は休みを取っておいで。じゃないとアフリカを楽しめないよ。」皆さん知っての通り日本ではバケーションの為に1ヶ月も休みを取れる人はなかなかいませんよね。例にもれず私もそうでした。

でも、せっかく出来たアフリカへのツテ。どうしてもアフリカへ渡りたいと言う気持ちが強くなり、半年後私は仕事を辞めてアフリカへ渡ることにしました。

せっかくなのでアフリカとアジアを見て回ろう。一か月の計画でアフリカとアジアの国々を見て回る計画を立てます。

そんなこんなで初めて踏んだアフリカの大地。
空港に着くや否や早速のハプニングの連続。友人迎えに来てないし、空港でお金騙し取られるし。
怖いし、誰も助けてくれる人いない。
どうにかタイで出会った友人に連絡がつき、その後その友人夫婦、家族、親戚、会社関係の方々の家に泊めて頂きながら様々な場所を見て回りました。

アフリカの野生動物達の生活や圧倒的な迫力がある壮大な景色。人々の優しさ。しかしそれに隣り合わせのようにある命の危機を常に感じるような生活。外部侵入者を防ぐために鉄格子、高い壁、電流の流れている有刺鉄線に囲まれた家。安定してるとはお世辞にも言えない整っていないインフラや医療。

それはいくつもの国を回っててもなんとも思わなかった私が、人生初のホームシックになってしまうほど、私にとって衝撃的な出来事ばかりでした。

日本に帰国して受けた衝撃

その後スワジランド王国(現エスワティニ王国)、シンガポール、マレーシア、韓国を旅し戻ってきた日本。私は空港から出た瞬間に衝撃を受けました。

歩いているビジネススーツを着た沢山の人たち。その人たちは男性も女性も笑顔を見せず、うつむき加減で表情が無表情。背筋がぞっとした感覚を今でも覚えています。

アフリカと違いここ日本ではほとんど何不自由なく暮らしていけるはずなのに、楽しそうな顔の人がいない。目の前を通る人すれ違う人からエネルギーや覇気を感じない。

その時頭に瞬時に頭に浮かんだ
「人が人として自分らしく生きて欲しい」と言う言葉。その為に僕は何が出来るだろうか。
今僕を動かしている原動力はこの言葉にあります。

実はアフリカへ行く為に仕事を辞めると決めた時、僕はもう一つやりたい事がありました。それが海外で働きながら生活をする事。

そこで選んだ国が南半球にあるニュージーランド。人口より羊の数の方が多いと言われている酪農と雄大な自然の国です。

そのニュージーランドではまず現地にあるギフトショップで働く事にしました。生活を続けて行くうちに人の輪も広がり、不思議なご縁で日本人向けのラジオのパーソナリティをすることに。実は僕の高校生の頃の夢はラジオのパーソナリティだったんです。日本から遥か遠い国ニュージーランドで、その夢が叶うなんて思ってもいませんでした。

またその頃には現地に住んでいる有名芸能人や旅行でニュージーランドに来た有名人の方々が評判を聞きつけて渡航の疲れを癒す為に施術を頼まれる事も多くなって来ました。

ニュージーランドの生活もある程度慣れて、うちで働かないかと仕事のヘッドハントも数カ所から受けるようになってきたのですが、もっと世界の流れを見てみたいと言う気持ちが強くなり、日本に帰国する事にしました。

そこで選んだ仕事の場所は東京は六本木の24時間営業のマッサージ店。国内外のお客様を担当して深夜時には朝まで働き続けました。

その後大阪へ移り整骨院に勤務、一年ほど務めたのち独立しました。この頃に占いと言う仕事とも出会いタロット占い師としても活動していました。

心のケアと身体の両方のケアを行い始めたのですが、口コミが広がりそのうちタロット占いでイベントに出店した時には、度々数時間待ちができるほどになりました。

現在は占い師としての仕事は行っておりませんが、そこで身につけた知識やノウハウを元に一人一人の相談者に合わせた、地に足のついている「真理」に基づいたセッションを行っています。

また今までの経験を元に、個人のセッションだけでなく女性へ向けて、恋愛セミナーや運気アップの為のセミナーなども開いています。

世に中の一人でも多くの方が自分らしく自分の人生を歩んで行けますように。